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手紙、について。

なんだか最近、すごく体がだるくてきついです。というより、無気力。「手紙」を描いてる途中からはじまって、ずっとなんだかもやもやしてます。

身体的な疲労とか、いろいろ原因はあると思うんだけど、やっぱり「手紙」の出来が問題なのかな、と思う。

この作品は、投稿したピクシブとかでは(自分の作品の中では)結構評価をいただけて、それはとても嬉しい。んだけど、なんだか納得できてないです。

今回は、女の子の視点からみた「壁」に対して、その壁に描かれた男の子は、何をしてるんだろう、壁の反対側では何が起こってるんだろう、って興味からはじまりました。

…以下、とりとめもなく長くて重くて偏見と独断に満ちた話なので追記で。

少なくてもこの男の子も、女の子に会いたがってる。でも、壁越しに会話もできなければ、手紙のやり取りもできない。きっと、壁に近づくことさえできないんだ。壁の向こうでは何が起こっているのか―。

そう考えると、どうしても思考はリアルになってくる。街を蹂躙する戦車。「懐かしい未来」に出てきたような、錆びた骨董品じゃない。今現実に、街を破壊し、人びとを殺す戦車だ。

インティファーダ。もうどこでその言葉を見たのかは忘れたけど、イスラエルの侵略に対するパレスチナ人たちの「投石」抵抗運動。テロリストではない、一般人たちは、石を投げることぐらいでしか、その戦車に抵抗することができない。それがどんなに無力であっても。

イスラエル軍は、そんな石を投げることしかできない子どもたちに、戦車や戦闘ヘリを繰り出し、銃撃を加えて、殺す。なにが彼らをそんな行為に駆り立てるのか。憎悪なのか、狂気なのか、なぜそこまでするのか。

user5519_pic4242_1216064770.jpg

今回描いた戦車「メルカバ」や、動く要塞のような「マグマホン(上図参照)」といったイスラエルの兵器を見ていて、気付いた。これらの兵器は、もちろん人を殺す攻撃のための兵器だけど、反面過度の重装甲をまとい、操縦者の人命、生存率を第一に考えられている。無数の機関銃と、鎧のような装甲。戦車師団を相手に戦争しているわけではないのに、なぜここまで重装備なのか。
つまり、怖いのだ。石しか投げることのできない人たちを、核兵器まで所有しているイスラエルの人たちは恐れている。

…自分は思うんだけど、ほんとうのところ、イスラエルの人たちは、自分たちの行為が、間違っていると気付いてるんじゃないのか。だから怖いのだ。自分たちは憎まれる行為をしている、パレスチナの人たちに報復され、八つ裂きにされてもおかしくないようなことをしている、と。

でもそれを認めてしまったら、イスラエルという国家の存在自体を否定してしまう。自分たちを否定してしまう。
だから、それを隠すために、パレスチナが悪い、テロリストが悪い、ハマスが悪い、私たちは、ただ自分たちを守るためだけに戦っていると主張し、それを信じることしかできないんじゃないか。


ちょっと信じがたい話だけど、イスラエル建国当時は、イスラエルの人たちとパレスチナの人たちは結構仲良くやってたらしい。お互いの結婚式によびあって祝福したりとか。でもあまりにイスラエルの人が増えすぎて、やがて衝突が起こるようになる。

で、ちょっと信じがたい話だけど、今でもイスラエルとパレスチナ、国家の違う男女のカップルで付き合っている人もいる(もちろん周りには言えないので秘密で)。

あといつも戦争をやっているわけじゃない。当たり前だけどね。報道されない、想像よりずっと悲惨なこともあるけれど、やっぱり報道されない、想像よりずっと平穏なこともある。(で、なんでそれを自分が知ってるのかって言えば、主に現地に行った人の書籍とかの知識です)


さてこの問題について、いろいろと考えたけれど、一つだけ確かなことがある。それは「戦争はいけない」とか「絶対ダメ」とか、そういった視点じゃなくて、もっと純粋に、冷静に、合理的に見て、どう考えてもこの問題は、「話し合い」でしか解決できないってことだ。

もちろん歴史や宗教や民族が複雑に絡み合い、憎悪と不信、偏見と差別の入り混じった難しいことだけれど、対話をして欲しい。投げるなら、石ではなく、意志を投げてほしい。そう願って、手紙を書きました。
自分はアメリカという国家は好きになれないけど、アメリカ人は嫌いじゃない。オバマ大統領には期待してます。



―って超壮大な前フリだったけど、えっとね、そういうリアルさが全面に出ちゃったのが納得できない原因だと思うのです。
今までは、別に特定の戦争とかじゃなかったんです。「懐かしい未来」は、争いより平和の素晴らしさを表現したかったし、「壁」にしても、今の日本の日常生活で「壁ではなく信頼を築け」ってのは、当てはまると思う。
だからこれらは、別にリアルな絵柄じゃなくてもよかった。はっきり自分の作品として、例えばポストカードとかにして売ってもよかった。

でも今回は、あまりに対象が明確すぎた。「憎悪を越えろ」というメッセージは、プロパガンダや偏見に惑わされないで、対話をして欲しい、という意味で、戦争全般に共通しているとも言える。けど、ちょっと、無理。自分にはこのリアルさを支えられない。このリアルさに精神が耐えられない。

モチーフになった戦車にはモデルがある。石を投げる子どもたちの写真を何枚も見た。この憎悪の中で、自分の絵が評価されればされるほど、その無力さに哀しくなる。いったいこの絵は、彼らの何の役に立っているというんだろう。自分が戦争を売り物にしているだけなんじゃないか。それでも、評価されれば嬉しい。評価してくれる人がいるだけで救われる矛盾。

たぶん、戦争をテーマにする限り、この葛藤はなくならないんだと思う。
それでも、描きたい。自分にはそれしかできないから。



>メッセージお返事
…しようと思ったらさっきからヤフーメールにログインできないよ!?
あれ?なんで!?
遅くなってごめんなさい、ちょっとまた後で改めてお返しします…!!
少なくてもこの男の子も、女の子に会いたがってる。でも、壁越しに会話もできなければ、手紙のやり取りもできない。きっと、壁に近づくことさえできないんだ。壁の向こうでは何が起こっているのか―。

そう考えると、どうしても思考はリアルになってくる。街を蹂躙する戦車。「懐かしい未来」に出てきたような、錆びた骨董品じゃない。今現実に、街を破壊し、人びとを殺す戦車だ。

インティファーダ。もうどこでその言葉を見たのかは忘れたけど、イスラエルの侵略に対するパレスチナ人たちの「投石」抵抗運動。テロリストではない、一般人たちは、石を投げることぐらいでしか、その戦車に抵抗することができない。それがどんなに無力であっても。

イスラエル軍は、そんな石を投げることしかできない子どもたちに、戦車や戦闘ヘリを繰り出し、銃撃を加えて、殺す。なにが彼らをそんな行為に駆り立てるのか。憎悪なのか、狂気なのか、なぜそこまでするのか。

user5519_pic4242_1216064770.jpg

今回描いた戦車「メルカバ」や、動く要塞のような「マグマホン(上図参照)」といったイスラエルの兵器を見ていて、気付いた。これらの兵器は、もちろん人を殺す攻撃のための兵器だけど、反面過度の重装甲をまとい、操縦者の人命、生存率を第一に考えられている。無数の機関銃と、鎧のような装甲。戦車師団を相手に戦争しているわけではないのに、なぜここまで重装備なのか。
つまり、怖いのだ。石しか投げることのできない人たちを、核兵器まで所有しているイスラエルの人たちは恐れている。

…自分は思うんだけど、ほんとうのところ、イスラエルの人たちは、自分たちの行為が、間違っていると気付いてるんじゃないのか。だから怖いのだ。自分たちは憎まれる行為をしている、パレスチナの人たちに報復され、八つ裂きにされてもおかしくないようなことをしている、と。

でもそれを認めてしまったら、イスラエルという国家の存在自体を否定してしまう。自分たちを否定してしまう。
だから、それを隠すために、パレスチナが悪い、テロリストが悪い、ハマスが悪い、私たちは、ただ自分たちを守るためだけに戦っていると主張し、それを信じることしかできないんじゃないか。


ちょっと信じがたい話だけど、イスラエル建国当時は、イスラエルの人たちとパレスチナの人たちは結構仲良くやってたらしい。お互いの結婚式によびあって祝福したりとか。でもあまりにイスラエルの人が増えすぎて、やがて衝突が起こるようになる。

で、ちょっと信じがたい話だけど、今でもイスラエルとパレスチナ、国家の違う男女のカップルで付き合っている人もいる(もちろん周りには言えないので秘密で)。

あといつも戦争をやっているわけじゃない。当たり前だけどね。報道されない、想像よりずっと悲惨なこともあるけれど、やっぱり報道されない、想像よりずっと平穏なこともある。(で、なんでそれを自分が知ってるのかって言えば、主に現地に行った人の書籍とかの知識です)


さてこの問題について、いろいろと考えたけれど、一つだけ確かなことがある。それは「戦争はいけない」とか「絶対ダメ」とか、そういった視点じゃなくて、もっと純粋に、冷静に、合理的に見て、どう考えてもこの問題は、「話し合い」でしか解決できないってことだ。

もちろん歴史や宗教や民族が複雑に絡み合い、憎悪と不信、偏見と差別の入り混じった難しいことだけれど、対話をして欲しい。投げるなら、石ではなく、意志を投げてほしい。そう願って、手紙を書きました。
自分はアメリカという国家は好きになれないけど、アメリカ人は嫌いじゃない。オバマ大統領には期待してます。



―って超壮大な前フリだったけど、えっとね、そういうリアルさが全面に出ちゃったのが納得できない原因だと思うのです。
今までは、別に特定の戦争とかじゃなかったんです。「懐かしい未来」は、争いより平和の素晴らしさを表現したかったし、「壁」にしても、今の日本の日常生活で「壁ではなく信頼を築け」ってのは、当てはまると思う。
だからこれらは、別にリアルな絵柄じゃなくてもよかった。はっきり自分の作品として、例えばポストカードとかにして売ってもよかった。

でも今回は、あまりに対象が明確すぎた。「憎悪を越えろ」というメッセージは、プロパガンダや偏見に惑わされないで、対話をして欲しい、という意味で、戦争全般に共通しているとも言える。けど、ちょっと、無理。自分にはこのリアルさを支えられない。このリアルさに精神が耐えられない。

モチーフになった戦車にはモデルがある。石を投げる子どもたちの写真を何枚も見た。この憎悪の中で、自分の絵が評価されればされるほど、その無力さに哀しくなる。いったいこの絵は、彼らの何の役に立っているというんだろう。自分が戦争を売り物にしているだけなんじゃないか。それでも、評価されれば嬉しい。評価してくれる人がいるだけで救われる矛盾。

たぶん、戦争をテーマにする限り、この葛藤はなくならないんだと思う。
それでも、描きたい。自分にはそれしかできないから。



>メッセージお返事
…しようと思ったらさっきからヤフーメールにログインできないよ!?
あれ?なんで!?
遅くなってごめんなさい、ちょっとまた後で改めてお返しします…!!

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